学園祭で便秘をしないための心得

「そんな日もあったな」

 

過去を振り返る際の最強の言葉だ。

 

思い出というのはどうして美化されるのだろう。

 

口を開けばつらいしんどいと弱音を吐いていた時期だって、何年も経ってしまえば面白いようにその頃を良き過去として回顧する。

 

そうして昔は良かったと懐かしみ今を嘆く時だって、何年もすればまた新しい過去として心の中で輝きを増していく。

 

きっといつだって今こそが人生で最高の瞬間なのに、今を生きることに必死すぎてそのことに気づかない。必死だから傷ついて、必死だから心が折れそうになることだってある。

 

そうやって全力で作った今だからこそ、いつしか宝石みたいにキラキラした過去になっていくのだろうか。

 

26人の仲間たちで学園祭を作り上げた三年前のあの一週間は、たった26人で巨大な祭りをまわしていくにはあまりに長く、26人で過ごした二年間の集大成をすべてぶつけるにはあまりに短い一週間であった。

 

正直当時は早く終われとばかり思っていたのだけれど、それでも全力で祭りをまわしたし、全力で祭りを楽しんだ。

 

僕たちはいつだって裏方だ。僕たちの仕事は全力の学生を全力でサポートすること。主役にはなれない。そんな立場ではあったけれど、僕たちは、少なくとも僕は、主役として活躍している誰よりも祭りを愛していた。

 

そんな風に持てる力のすべてを注いだ祭りだから、終わった直後は「やっと終わった、二度とやるもんか」とか言ってみても、二度とできないあの一週間は今となっては大切な思い出だ。

 

去年や一昨年は全力の学生を全力でサポートする後輩を全力でサポートする存在。意外とやることは多かった。

 

そして今年、初めて何もやる必要のない学園祭が訪れた。当然祭り自体を楽しみはしたのだが、自由すぎる一週間は、かつてのような一生懸命さとか儚さとかそういうのがまったくない無機質なものであった。

 

陰で活躍する後輩たちを見て思う。

 

「案外、僕たちの方が主役だったのかもしれないな」

 

珍しくまじめな話をつらつらと書いてしまったが、言いたいことはひとつだけだ。

 

後悔だけはしたくない。

 

うんちをしたいときは全力でうんちをする。我慢して我慢して、便秘になってしまってからトイレに行ったのではもう遅いのだ。

 

つらいときも、苦しいときも、いつか必ず、

「そんな日もあったな」

と笑える日がくるように、僕は今を全力で生きていく。