うんこも推論もほどほどに
たとえば、僕が「晩ごはんどうしようかな」と口にしたとする。それを聞いたある人は思うだろう。
「この人はおなかがすいたんだろうな」
またある人は、こう思うかもしれない。
「沈黙に耐えかねて何か喋ろうとしたんだろうな」
言葉の真意というものは、その言葉を発した本人にしかわからない。本人でさえわからないことだってある。
聞き手がそれを正確に受け取るなんてのは、日本人が漢文を読み解くほどに難しい。なんとなく意味はわかりそうにも思えるが、それが正確にわかるかどうかといえば、やはり答えはノーである。
もちろん運良く正解することだってあるかもしれない。しかしそれはやはりあくまで、運でしかないのだ。
それでも昨日はあの場にいたすべての人間が、僕の言葉の真意を見事言い当てることができただろう。
ただ、一人を除いてね。
それほどまでに状況はわかりやすかった。
事の発端はグループワークの授業の最中だ。くじ引きで班が作られ、初めましての挨拶から始まり各々持ち寄った資料を統合して一つの資料を練り上げていく。
引きこもり体質の僕が最も苦手とするタイプの授業だが、どういうわけかうちの学部では一般教養でこの手の単位を取るのが必須となっている。
さすがにこれ以上大学にお世話になるわけにもいくまいと重い腰をあげてみたはいいものの、いざ教室に行ってみるとどうしてもやる気にならない。
グループワークをやると聞いて即座にその場を立ち去ろうかと悩んだほどだが、これも単位のためだ。負のオーラを悟られないようほどほどのテンションで穏便に済ませよう。
五人一組になりまずは自己紹介。
「○○学部一回生の△△です」
「××学部一回生の**です」
おいおい勘弁してくれ。二回生はいないのか。
もちろん、一般教養の授業に三回生以上がいることなんか初めから期待してはいない。だがせめて二回生はいてもいいだろう。ああ、くじ引きの神はあまりにも無慈悲だ。これでも初詣に引いたおみくじは大吉だったのだが、一体どこでその運を使い果たしたのだろう。
「◻︎◻︎学部一回生の☆☆です」
「◎◎学部一回生の▽▽です」
結局二回生はいなかった。
僕の自己紹介?
それはもちろん、回生は隠した。出席カードも裏向きにしてね。
この状況で五回生ですなんて胸張って言える留年生なんているだろうか。いや、もしかしたら誇りを持って留年した人なら言えるかもしれない。ただそんな人は五回生の時点で一般教養の単位なんか残していないはずだ。
そんなこんなで心労激しく自己紹介が終わり資料のまとめに入った。ある程度話がまとまり出すと、班員のキモオタ風味の若僧がハンドルを失ったフォーミュラのごとく暴走を始める。
その男、やる気は十分。むしろありすぎるくらいだ。しかし事もあろうか、グループワークにも関わらず何の相談もなしにたった一人で資料をまとめ出したのだ。
やる気の空回りというか、僕とは別の意味でコミュニケーション能力に難があるのだろう。本人はとても楽しそうだ。
班員はその間やることもなくただうつむいているだけ。他の話題で会話が弾むほどに積極的な人がいれば話は別だったのだが、そんな人もおらず場の空気はお通夜状態だ。
今後深く関わることもないこいつらのために場を取り持つような義理はなかったのだが、このキモオタはまさか自分が場を仕切っているつもりなのだろうか、得意げな表情がどうにも気に食わなかった。
ここは僕がピエロになるしかないか......。
沈黙にしびれを切らした僕はピカピカの一回生たちと雑談することを決意する。
しかし困ったことに、何を話していいかわからない。ただでさえこういうのは苦手だというのに、四つも歳が離れているとあればジェネレーションギャップもそこそこにあるだろう。
うーん......。
あ、そうだ、これ五限の授業だしこのあとたぶんみんな晩ごはん食べるんだろうな......。
よし。
「晩ごはんどうしようかな」
今から考えると玉突き事故を起こしてもおかしくないくらい意味のわからない切り出しだったが、なんとかこの後勘違いキモオタの作業が終わるまで雑談で乗り切ることができた。
やれやれ、こんな役回り二度とごめんだ。僕なんて部屋のすみっこにうずくまって荷物と間違われるくらいが丁度いい。
さて、答え合わせをしよう。
「晩ごはんどうしようかな」
この言葉の意味、もう簡単だろう。
昨日は昼に食べたラーメンが妙におなかにきていたからね。この言葉を発した僕の真意はこうだ。
「ごはん食べる前に一回うんこしときたいな」
少し簡単すぎただろうか。まあ、仮に正解できなかったとしても案じることはない。もとより他人の気持ちを推し量るというのは困難を極める行為なのだから。
しかしそれに甘んじて他者に気を配ることをないがしろにしてばかりいると、今回の話のキモオタのように周りからいわゆる自己中のように映ってしまうかもしれない。
何事もほどほどがいいというわけだ。