猫とオタクとあったか便座

同期がみな卒業し、就職して全国に散り散りになった状態で一人大学に取り残されるというのはなかなかに耐え難いことであろう。しっかり大学にいかなかった自分が悪いとはいえ、しっかり大学にいけないほどに志の弱い人間に降りかかるにしては酷な災難だ。

 

さて、では僕がそれほどの孤独を感じているかといえば、実を言うとそうでもない。僕にはクラスに気心の知れた友人などというのは誰一人としていない。もとより一人で授業を受けていた僕からしたら、この状況というのは去年までと何ら変わらない日常でしかないのだ。

 

もちろん、サークルでは友人と呼べる人間はそれなりにできた。休日に彼らと気軽に遊べなくなるというのは寂しさを禁じ得ないが、やはりそれは大学にいる時間を一人で過ごすこととはまた別の話である。

 

そんな僕には、大学構内で通りすがった人を心の中で罵倒するというマイブームがある。

 

今日の一人目のターゲットは、自転車のブレーキがやたらうるさいオタク。ただでさえ目にうるさいオタクだというのに、自転車のブレーキさえもうるさかったら不快なことこの上ない。今すぐ修理するか、それができないのならその醜い風貌を世に晒さないよう全力で引きこもってほしい。

 

二人目は、貧乏ゆすりするオタク。ただでさえ目にうるさいオタクが、さらに目にうるさい貧乏ゆすりをするダブルパンチ。冗談は顔だけにしてほしい。せっかくの優雅なランチタイムが台無しである。今すぐ実家に帰れ。

 

三人目は、草むらで野良猫をかわいがるゆるふわ女子。大して好きでもないくせに、猫をかわいがる私ってかわいいでしょみたいな魂胆が見てとれる。あざとい。こういうタイプに限ってイケメンと仲良くなるために動物を利用しちゃったりする。最悪の人間だ。底辺は底辺らしくせめて僕のこともかわいがってほしい。

 

四人目から六人目は一気にいこう。とても窮屈そうに切り株に座って昼ごはんを食べる三人組。お前らはバカか?すぐそばにベンチがあるだろう。ベンチがあるのに切り株に座ってお昼食べちゃう私たちちょーイケてるみたいな哀れな考えが見え隠れする。あんなエセオシャレ集団にだけはなりたくない。切り株に座ったことが祟って腰とかを尋常でなく痛めればいい。あれでは便座のほうがよほど座り心地がいいだろう。

 

便座といえば、最近のトイレは素晴らしい。

 

先ほども校舎のトイレで便座に座ってきたのだが、あれほど温かくお尻を包み込んでくれるものがこの世にあるだろうか。しばらく経った今でもお尻があの温もりを忘れていない。

 

そしてさらに素晴らしいのが、自動洗浄システム。温もり離れに名残惜しさを感じながら立ち上がると、センサーが反応して自動で水を流してくれる。腹を痛めて産んだ自分のうんちとこんにちはする間もなく流れていってしまうのは少しもの悲しいが、どこも触らずに洗浄してくれるというのは画期的だ。

 

現代技術が生み出した奇跡のトイレに感動を覚えながら、今日も僕はお尻を拭いている。